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福岡地方裁判所久留米支部 平成6年(ワ)176号 判決 1996年12月25日

原告

室園精一

室園肇子

右原告ら訴訟代理人弁護士

馬奈木昭雄

髙橋謙一

内田省司

被告

医療法人雪ノ聖母会

右代表者理事長

井手道雄

右訴訟代理人弁護士

大石幸二

右訴訟復代理人弁護士

大脇久和

大石昌彦

主文

一  被告は、原告室園精一及び原告室園肇子に対し、それぞれ金三五四二万六二五六円及び内金三二四二万六二五六円に対する平成四年一〇月二一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、四分し、その三を被告の、その余を原告らの各負担とする。

四  この判決は、第一項に限り仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告室園精一及び原告室園肇子に対し、各金四六四二万六二五六円及び内金四二四二万六二五六円に対する平成四年一〇月二一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  第1項につき仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

3  担保を条件とする仮執行免脱宣言

第二  当事者の主張

請求原因

1  当事者

(一)  原告らは、室園優己(昭和四九年八月二八日生、以下、優己という。)の父母である。

(二)  優己は、平成四年一〇月七日交通事故に遭い、被告の経営する聖マリア病院で、右膝打撲、下口唇裂創、右眉毛裂創、外傷性くも膜下出血等の病名で入院治療を受けていたが、同月二〇日午前九時一分、急性壊死性膵炎により死亡した。

2  不法行為

(一)(1)  優己は、同月一三日ころから、腹痛や吐き気を訴えたが、聖マリア病院の担当医師である戸田啓介医師(以下、戸田医師という。)は、便秘と判断し、同月一七日浣腸を行った。

(2) しかし、その後も激痛を訴える優己をベッドに縛る等し、適切な治療を施さなかった。

(二)(1)  戸田医師は、同月一九日になって、優己が急性膵炎に罹患していることに気付いた。

(2) しかしながら、適切な処置をせず、ただ、消化器系の医師に翌日相談しようと考えただけであった。

(三)  戸田医師は、優己の死亡した時点において、死亡の原因が急性壊死性膵炎であるとは考えておらず、交通事故による脳挫傷から出血性ショックを起こし、急性循環不全により死亡したものと考えていた。

3  戸田医師の過失

(一)  優己は、遅くとも同月一七日には、急性膵炎の臨床症状である腹痛、嘔気、嘔吐、腹部膨満、便秘、精神症状等の症状を呈していたのであり、戸田医師は、そのころには、血液、生化学検査を実施することにより、優己が急性膵炎に罹患していることを知り、または、知り得べきであったのであり、戸田医師には、同月一七日に右検査を実施しなかった過失がある。

(二)  戸田医師は、同月一九日、血液、生化学検査の結果、優己が急性膵炎に罹患していることが判明した後も、優己の急性膵炎が重症と判定すべき状態であったにもかかわらず、抗酵素療法、抗生物質の投与を行い、腹部エコー検査を翌日にする予定を立てたに止まり、膵管内圧亢進、疼痛、ショックに対する対策をせず、急性膵炎の治療の基本である絶飲絶食の原則も守らず、病状が急激に悪化する急性膵炎に対する監視体制をとる等の適切な対策を怠った過失がある。

(三)  戸田医師は、同月二〇日は、出張することになっていたのであるから、急性膵炎により、ショックを起こし、死亡に至ることもあるから、優己にショックが起こった場合に、適切な処置がとれるように、当直の医師等に優己が急性膵炎に罹患していること、常時、監視が必要であることを連絡すべきであったのに、これを怠った過失がある。

4  因果関係

戸田医師の過失がなければ、急性膵炎の適切な治療により、優己の死亡を回避することができたはずであるから、戸田医師の過失と優己の死亡との間には、相当因果関係がある。

5  損害

(一)  逸失利益

金四三八五万二五一二円

金506万8600円(男子全年齢平均額)×17.3036(一七歳男子の就労可能年数に対応するライプニッツ係数)×0.5(生活費控除)

(二)  慰謝料 金四〇〇〇万円

(1) 優己は、急性膵炎の痛みを遅くとも同月一六日には明確に訴え、戸田医師にその治療を求め、また、原告らもそのころ、優己の痛みを知り、戸田医師にその治療を求めたにもかかわらず、戸田医師は、優己の腹痛を便秘によるものという誤診をして、浣腸をするに止まり、痛みを訴える優己をベッドに縛り付ける等し、痛みを訴えさせないようにした。その上、内臓疾患の可能性を認識しながら、翌日まで放置した。

(2) 右によると、優己は、戸田医師の初歩的ミスで苦痛のうちにその生命を奪われたものであり、優己及び原告らの精神的苦痛を慰謝するには、優己につき金二〇〇〇万円、原告らにつき各金一〇〇〇万円が相当である。

(三)  葬祭費用 金一〇〇万円

(四)  弁護士費用 金八〇〇万円

(一)ないし(三)の合計額の約一割

(五)  (一)の逸失利益、(二)の優己の慰謝料については、原告らが各二分の一を相続し、(三)の葬祭費用、(四)の弁護士費用は、原告らが各二分の一を負担することになるので、原告らの損害は、各金四六四二万六二五六円となる。

6  よって、原告らは被告に対し、被告の被用者である戸田医師の不法行為ないし被告の履行補助者である戸田医師の債務不履行による損害賠償請求権に基づき、各金四六四二万六二五六円及び弁護士費用を控除した残金四二四二万六二五六円に対する平成四年一〇月二一日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二 請求原因に対する認否

1(一)  請求原因1(一)の事実は認める。

(二)  同(二)の事実は認める。

なお、被告は、後に、同(二)の事実のうち、優己が、平成四年一〇月七日交通事故に遭い、被告の経営する聖マリア病院で、右膝打撲、下口唇裂創、右眉毛裂創、外傷性くも膜下出血等の病名で入院治療を受けていたことは認め、その余の事実は否認する旨主張したが、その理由とするところは、次のとおりである。

優己の死亡時の膵臓の状態は、強い出血と壊死があったが、未だ残存する膵組織も十分に残存していたのであり、肺、肝、腎、心の臓器は、いずれも不全状態といえる所見を示してはいなかった。そして、優己は、膵臓及び外傷性くも膜下出血像以外は、全身の軽度ないし中等度のうっ血状態を呈していたに過ぎず、この状態からは、急激な全身の循環不全状態、おそらくは、突然の心停止があったことは理解できるとしても、右のような優己の膵臓の状態からすると、その原因が急性膵炎にあるとするのは困難である。また、優己の死亡時の膵臓の状態を他の急性膵炎で死亡した症例と比較すると、膵臓の壊死の面積が狭く、出血も少ないのであって、優己の死亡時の膵臓の状態は、心停止を惹起するようなものではなかった。よって、急性壊死性膵炎と優己の死亡には相当因果関係はない。

2(一)(1) 同2(一)(1)の事実は認める。

被告の主張3(七)のとおり、腹痛については、同月一六日の腹部X線検査の結果異常は認められなかったが、優己は、入院以来排便がなく、右X線検査でイレウス(腸閉塞)は認められなかったので、便秘と判断し、同月一七日浣腸をし、腹部痛は軽減した。

被告の主張3(四)ないし(六)のとおり、脱水による脳血管攣縮または静脈血栓の疑いがあったため、脱水補正の処置により、同月一五日には、脱水、意識レベルは改善した。

(2) 同(2)の事実は否認する。

被告の主張に述べるとおり、治療は継続して施行されたものであり、同月一三日から四肢抑制の措置をしたのは、優己がしばしばベッド上に起き上がったり、ベッドから下りて徘徊したり、点滴を自分で抜去する等治療に差し支えがあったためである。

(二)(1)  同(二)(1)の事実は認める。

(2) 同(2)の事実は否認する。

被告の主張4(一)に述べるとおり、適切な治療をした。

(三)  同(三)の事実は否認する。

戸田医師は、同月一九日に、血液、生化学検査の結果から急性膵炎を疑い、その治療をしていた。

3(一)  同3(一)の事実は否認する。

同月一三日までの血液、生化学検査の結果からは、膵臓系の疾患の徴候は認められなかったのであり、同日から同月一八日までは、一応小康状態を保っていたのであるから、諸検査の必要はなかった。

(二)  同(二)の事実は否認する。

急性膵炎の治療として、絶飲絶食があげられていることは、原告の主張のとおりであり、優己は、同月一九日に流動食(YH80)とお茶を摂取しているのであるが、被告の主張4(一)のとおり、翌日の優己の血中アミラーゼ値は低下し、血中カルシウム値に変化はなかったのであり、絶飲絶食でなかったことが原因で優己の症状は悪化してはいない。

(三)  同(三)の事実は否認する。

4  同4の事実は否認する。

急性膵炎の場合には、突然死が存在し、その機序としては、急性膵炎を契機に、体内循環血漿量の何らかの理由による必要量の急激な増大に対し、実際の循環血漿量が不足した状態に陥り、急性循環不全を惹き起こす可能性が考えられるが、そのような可能性があったとしても、いつ、いかなる条件でそのような状態が惹き起こされるかの予測は全く不可能であり、その予防処置として、急性膵炎の治療を行う以外には、そのような状態が起こったときに対処するしかない。なぜなら、この変化は、突然に起こるからである。優己の死亡は、右のような機序で惹き起こされた可能性があるが、優己の症状の変化は突然起こったもので、それまでは、通常の急性膵炎として普通の経過をたどっていたものであり、変化が起こってからの救命処置は適切であった。よって、優己の死亡を避けることはできなかった。

5  同5の事実は不知。

三 被告の主張

1  入院の経過

(一)  被告は、ベッド数一八八床を有する総合病院で、救急病院の指定を受けている聖マリア病院を経営している。

(二)  優己は、柳川高校三年生で、平成四年一〇月七日午前八時ころ、五〇CCバイクで登校中、福岡県筑後市和泉六四五番地の二先路上で乗用車と衝突し、筑後消防署の救急車で聖マリア病院に搬送された。

2  救急処置

聖マリア病院救急処置室で、戸田医師が同日午前八時四五分ころ、優己を診察した。

(一)  主訴

優己は、交通事故のことは覚えていないと言い、下口唇、右眉毛に切創があり、頭痛、吐き気は訴えなかった。

(二)  診察の結果

脈拍九〇/分、血圧一二六/七六、呼吸数二二、体温36.7度で意識はほぼ清明であるが、傾眠があり、指南力?は保持し、頭痛、吐き気はなく、瞳孔は正円で左右同大であり、対光反射は左右とも迅速であった。上肢バレー症候、四肢運動麻痺はなく、感覚も正常であった。逆行性健忘症を認めたが、頭蓋X線では骨折はなく、頭部CTの結果、くも膜下出血が認められた。その他、右眉毛上、下顎骨上部裂傷、左膝挫傷があった。

(三)  診断

右膝打撲、下口唇裂創、右眉毛裂創、外傷性くも膜下出血

(四)  検査及び結果

CT検査の結果、左シルビィウス裂に高吸収域があり、外傷性くも膜下出血が認められた。

(五)  処置

輸液EL―H五〇〇ミリリットル、グリセオール二〇〇ミリリットル、ソルメドロール一二五ミリグラムiv、テタガム一Aim、EL―H五〇〇ミリリットル、ニコリンH五〇〇ミリグラム、タガメット二Aを投与した。

3  入院後の経過

(一)  入院後、戸田医師は、外傷性くも膜下出血については、保存的治療を実施するとともに、CTによる追跡検査、MRIによる脳挫傷の検査及びSPECTによる脳循環検査を実施し、下口唇裂創、右眉毛裂創、右膝打撲傷については、形成外科で経過観察をすることにした。

(二)  同月八日の頭部CT検査では、くも膜下出血は、ほぼ吸収されていた。

(三)  同月九日には、救急処置室から六―四病棟に転棟し、意識レベルは正常で、バイタルサインも安定し、頭痛、吐き気もなかった。

(四)  同月一〇日一七時三〇分ころから気分不良となり、体動激しく奇声を上げ、水様性嘔吐があり、その後一時状態安定するも、深夜、点滴を自己抜去し、排尿失禁、徘徊があり、CT室に搬入したが、体動激しく不穏奇声があり、ホリゾン一A筋注、追加で一/二A静脈注するも、効果はなく、帰室した。

その後、入眠傾向となり、嘔吐があり、意識レベルが二〇〇に低下したため、同月一一日、NCUに転棟した。血圧一二〇ないし一四〇/六〇ないし八〇、体温三六度、CT検査では正常、腹部X線検査でも特に症状は認められなかった。

(五)  同日の診察

呼名に全く応じないが、乳頭刺激への反応は良好であり、意識レベルは、一〇〇/日本コーマスケール、瞳孔は両側とも散大気味、対光反射は迅速で正常で、呼吸も正常であったが、同日午後三時一五分、突然いびき呼吸になったため、経鼻気道で確保した。生化学検査では、HT41.7ヘマトクリット値、CVP±〇センチメートルH2O(中心静脈圧)であったが、X線胸写では特記するものなく、頭部CT検査では、くも膜下出血もなく、低呼吸域もなかった。

以上の経過より、戸田医師は、くも膜下出血の悪化は考えられず、原因としては、脱水による静脈血栓または脳血管萎縮、ICU管理に伴う通過症候群と判断した。

(六)  戸田医師は、治療対策として、再出血、脳血管攣縮に対し、膠質液の輸液、CTの再検を施行し、中心静脈圧のチェックをし、輸液を高循環量とする。処置としては、抗浮腫療法、CT追跡観察にて脳浮腫、頭蓋内異常のチェックをし、血糖値、電解質のチェックをすることにした。

排便が四日間ないため、腹部X線により、フリーエアーがはっきりしなければ浣腸を施行することとした。また、脱水補正により意識レベルは改善傾向にあり、観察しつつ水分の補給をすることにした。

優己は、頭痛、吐き気もなく、意識レベルも一/日本コーマスケールと回復し、瞳孔も正円同大であり、対向反射は両側とも迅速であり、四肢運動麻痺もなく、追跡CT上は、特記することもなく、バイタルサインも安定したため、同月一六日六―四病棟へ転棟した。

(七)  戸田医師は、同月一六日朝から、優己の嘔吐が継続していたため、腹部X線を撮ったが、フリーエアーはなく、腸閉塞とは認められなかったので、優己が同月一七日も腹部の圧痛を訴えたため、浣腸を施行した。その後、嘔吐、腹痛は収まった。

4  症状の急変

(一)  優己は、同月一九日、全身色すぐれず、黒褐色尿の流出をみた。発熱三九度、血液、生化学検査の結果、白血球四六〇〇〇、血球六三八万、Hb20.8、GOT一一四、GPT一七三、LDH一〇八四、T―Bil4.04、アミラーゼ一一七七、BUN52.4、CREA1.22と悪化した。

戸田医師は、胆道系及び膵臓の炎症を考え、輸液の処置をした。肝庇護療法及び膵炎対策として、フサンの投与を開始するとともに、消化器内科の亀尾医師に相談し、翌日、腹部エコーの診察を予定した。

戸田医師は、優己のアミラーゼ値の上昇に気付く前から、H2ブロッカー、ニコリンを投与し、輸液量を二〇〇〇ミリリットル以上とし、抗生物質を投与する等し、大部分を絶飲絶食としており、結果的に優己が入院してから、今日の治療指針(乙第一〇号証の一、二)に記載された急性膵炎の治療の大部分を行っていた。同月一九日にも、急性膵炎の治療に使用されるフサン、タガメット、ニコリンを投与し、翌日には、優己の血中アミラーゼ値は低下し、血中カルシウム値に変化はなかったのであり、適切な治療がなされた。

(二)  同月二〇日午前七時四五分、突然心停止を起こしたため、直ちに心マッサージを施行したが、腹部及び顔面等に膨隆出現し、午前五時Hb一七、午前八時四〇分Hb一〇と急激に貧血が進行し、午前九時一分死亡した。

(三)  死亡診断書記載の死亡原因は、当初の脳挫傷より出血性ショックを発症し、急性循環不全による死亡である。

5  解剖所見

(一)  脳には、軽度のくも膜下出血を全体的に認めるが、ヘルニアも認められず、組織学的検査でも死因となるものは認められない。

(二)  腹部には、血性腹水三〇〇ミリリットルを認め、膵臓は、著明な出血をきたし、組織学的検査でも強い壊死及び出血を認め、急性壊死性膵炎と認められる。

(三)  死因は、急性壊死性膵炎と考えられるが、組織学的検査では、ヘモジデリン沈着を認めるものの、外傷後一〇日以上の期間があり、外傷の直接的な関与には疑問がある。

(四)  通常とは異なった遅発性の外傷性膵炎または突発性膵炎が考えられる。

(五)  主病診断としては、急性壊死性膵炎であり、その副病変としては、血性腹水、少量くも膜下出血、軽度脳浮腫、全身性鬱血、小腸の軽度壊死性変化、皮下気腫(上部胸壁)が認められた。

6  なお、優己の平成四年一〇月一三日から死亡に至るまでの病状の経過及び治療の経過の詳細は、別紙1のとおりである。

第三  証拠

証拠関係は、本件記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりである。

理由

一  請求原因1の事実は当事者間に争いがない。

なお、被告は、後に、請求原因1(二)の事実のうち、優己が、平成四年一〇月七日交通事故に遭い、被告の経営する聖マリア病院で、右膝打撲、下口唇裂創、右眉毛裂創、外傷性くも膜下出血等の病名で入院治療を受けていたことは認めるが、その余の事実は否認する、優己の死亡と急性壊死性膵炎との間には、相当因果関係が存在しない旨主張しており、右は、自白の撤回に当たるものと考えられるが、証拠(乙第四、第七号証、証人戸田啓介、同鳥越隆一郎、同伊藤裕司)によれば、優己の死亡の原因は、急性壊死性膵炎であると認めることができるから、右自白が真実に反するものとは認められず、しかも、右証拠によれば、優己の病理解剖の結果を踏まえ、戸田医師、伊藤裕司医師らを含む聖マリア病院の医師らが、検討を行ったうえで、優己の死因を急性壊死性膵炎と判断したことが認められるのであり(むしろ、急性壊死性膵炎が死因であることには異論がなく、膵炎の原因についての議論がなされた。)、他の証拠を検討しても、急性壊死性膵炎以外に優己の死因となるべきものを認めることのできない本件においては、右自白が錯誤に基づきなされたものとも認め難いところであり、いずれにしても、右自白の撤回は許されないものと解する。

二  優己の症状、治療の経過

請求原因2(一)、(二)の各(1)の事実は当事者間に争いがなく、一の事実、右争いのない事実、証拠(乙第二号証の一ないし一九、乙第三ないし第七号証、証人戸田啓介、同鳥越隆一郎、同伊藤裕司)と弁論の全趣旨によれば、優己の症状、治療の経過は、ほぼ、以下のとおりであったと認められる。

1  優己は、平成四年一〇月七日、バイクで走行中、乗用車と衝突し、被告の経営する聖マリア病院に入院し、右膝打撲、下口唇裂創、右眉毛裂創、外傷性くも膜下出血と診断された。

2  同月八日、戸田医師は、頭部CT検査により、くも膜下出血は「流れている。」と判断した。

戸田医師は、くも膜下出血による障害は認められず、頭部打撲による意識障害が見られ、脳浮腫及び頭蓋内圧の亢進があり得ると判断し、脳浮腫及び頭蓋内圧亢進に対する投薬を実施していた。結果的には、脳浮腫及び頭蓋内圧亢進は起こらず、頭部CT検査により、頭部打撲による脳挫傷の合併も認められなかった。

3  優己は、同月八日、九日と特に異常はなかったが、同月一〇日午後五時三〇分、気分不良、ウーウーうなりながら体動し、さらに嘔吐した。同月一一日になると、うとうと入眠、時々体動し、全身硬直気味、嘔吐した。

優己は、同月一二日には、痛みに「ウアー」と奇声をあげ、四肢疼痛にて屈曲する、刺激に対して奇声をあげ、ベッドをゴロゴロ転がり、ベッド上で起き上がり、「痛い」と発語する等の状況であり、同月一三日には、うなり声をあげ、再三ベッド上で起き上がり動作をし、「痛い」、「全部」等と発語し、傾眠状態になる等の状況であった。そのため、四肢抑制の措置をとられていた。

戸田医師は、優己の意識状態が悪化したため、同月一一日、頭部CT検査を実施したところ、脳浮腫等の異常は認められなかったが、優己をNCUに搬送した。そして、中心静脈圧を測定したところ、脱水症状が認められたため、戸田医師は、意識状態の悪化の原因が脱水症状によるものと判断し、その改善のため脱水の補正の処置を行った。

戸田医師は右の処置により、意識状態の悪化が改善されたものと判断し、同月一五日、優己を一般病棟に移した。戸田医師は、優己の意識状態の悪化、嘔吐等の原因は、脱水による一過性の脳血管攣縮か静脈血栓であると判断したが、脱水の原因は分からなかった。

4  優己は、一般病棟に移る直前の同月一五日午後二時一五分、一般病棟に移った同月午後二時半、午後三時半に嘔吐があり、表情もボンヤリしており、同月一六日午前一〇時に水様性嘔吐があり、同日午後三時半ころも嘔吐が持続し、同日午後四時には、嘔吐(唾液様)が再三あり、多弁気味で、時折不明瞭な発語があり、不穏、発語も攻撃的な状態であった。また、同月一六日には、腹痛を訴え、便も出ていなかった。

戸田医師は、脱水症状は改善したものと考えており、CT検査上、脳浮腫も認められなかったので、優己の嘔吐等は、腹部の症状である腸閉塞等が原因ではないかと疑い、腹部のX線写真を撮ったが、腸閉塞はなかったため、便秘と判断し、浣腸を指示した。その結果、同月一七日午後二時三〇分浣腸が実施された。

看護記録の同月一六日欄には、胃潜血プラス三との記載がある。これについては、戸田医師は、ステロイド剤を使っていたため、上部消化管に出血が生じたものと考えた。

5  優己は、同月一七日午前六時、胃液または胆汁様の嘔吐があり、胃ないし腹部の不快を訴え、圧痛もあり、同日午前一一時、腹緊満が認められ、同日午後二時三〇分に浣腸をされたが、一旦腹痛の程度が低下したものの、同日午後七時、腹痛、胃痛を訴え、同日午後九時には、大声で叫び、同月一八日午前七時には、下腹部痛、圧痛を訴え、その後、大声を出して不穏ぎみとなったり、ウトウトしたり、時々大声を出して、つじつまの合わないことを言う等、意識レベルも混迷の状態であった。

そのため、戸田医師は、血液、生化学検査の必要性を認めたが(戸田医師は、それまで、同月七日、八日、一一日ないし一三日に血液、生化学検査を実施していた。)、直ちに、実施する必要はないものと判断し、同月一九日に実施するよう指示した。

6  優己は、同月一九日午前二時、独語頻回、感情失禁、体動激しく、点滴自己抜去、過換気、幻覚妄想(?)、その後時折大声を出す等の状態となった。午前六時ころ血液、生化学検査のため採血がなされ、アミラーゼ値の著明な上昇、白血球数の異常な増加、肝機能、腎機能の悪化が判明した。再度の血液、生化学検査の結果は、白血球四六〇〇〇、血球六三八万、Hb(ヘモグロビン)20.8、GOT一一四、GPT一七三、LDH一〇八四、T―Bil(総ビリルビン)4.04、アミラーゼ一一七七、BUN(尿素窒素)52.4、CREA(クレアチニン)1.22であった。体温も、三九度に上昇し、血尿、腹部膨満が認められた。

戸田医師は、血液、生化学検査の結果、膵炎と判断し、輸液(糖基盤に変更)の処置をした。そして、肝庇護療法(グリコースインシュリン療法)として、強ミノC、グルカゴン、インシュリン、膵炎対策として、フサン(たんぱく分解酵素阻害剤)の投与を開始し、消化器内科の亀尾医師に相談し、翌日、腹部エコーの診察を予定した。その他、感染を防ぐための抗生物質(ペントシリン)、消化管出血予防のためタガメット等を投与したが、ショック対策、痛みに対する処置、膵管内圧亢進に対する処置は特に行わなかった。

7  優己は、同月二〇日午前七時三〇分ころ、心停止、鼠蹊動脈の触知不可の状態となり、心マッサージが開始され、蘇生が試みられたが、口腔、鼻腔より暗赤色分泌物が噴出し、皮下、顔面にかけてパンパンに腫れた状態となり、同日午前九時一分死亡した。

戸田医師は、同日は、出張のため不在であった。

8  優己は、同日、伊藤裕司医師により、解剖されたが、その解剖所見は、概ね次のとおりであった。

(一)  脳には、軽度のくも膜下出血を全体的に認めるが、ヘルニアも認められず、組織学的検査でも死因となるものは認められない。

(二)  腹部には、血性腹水三〇〇ミリリットルを認め、膵臓は、著明な出血をきたし、組織学的検査でも強い壊死及び出血を認め、急性壊死性膵炎と認められる。

(三)  死因は、急性壊死性膵炎と考えられるが、組織学的検査では、ヘモジデリン沈着を認めるものの(本件訴訟提起後の鉄染色検査の結果、ヘモジデリン沈着ではなく、他の色素の可能性が考えられた。)、外傷後一〇日以上の期間があり、外傷の直接的な関与には疑問がある。

(四)  通常とは異なった遅発性の外傷性膵炎または突発性膵炎が考えられる。

(五)  主病診断としては、急性壊死性膵炎であり、その副病変としては、血性腹水、少量くも膜下出血、軽度脳浮腫、全身性鬱血、小腸の軽度壊死性変化、皮下気腫(上部胸壁)が認められた。

三  急性膵炎についての知見

1  急性膵炎は、膵組織内において、トリプシンが活性化され、自己消化が起こることが病態生理の本体をなすものである。病理学的には、浮腫型、出血型、壊死型に分類される。急性膵炎の剖検例は、ほとんどが壊死型であり、まれに外傷性または局所出血型の膵病巣が切除されることもある。出血型急性膵炎は、壊死型に移行する場合が少なくないとされており、外傷による出血においても壊死型急性膵炎となることがある。壊死型急性膵炎では、急性腹症として来院し、発熱、激痛、ショック、腹膜炎等の重症症状を呈し、死亡することも多い(甲第一ないし第三号証)。

急性膵炎の診断は、(1)比較的突然に発生する上腹部痛、圧痛、(2)血中、尿中、腹水中の膵酵素(アミラーゼ、エラスターゼⅠ)上昇、(3)画像(CT、US)における膵炎所見によって行われる(乙第一〇号証の一、二)。

2  急性膵炎の原因としては、胆石及び胆道感染症、アルコール、手術、感染症、外傷、薬物(ステロイド等)等があり、交通事故でのハンドルによる腹部打撲、転落事故による腹部打撲等でも膵炎を起こすことがある。この場合すべてが急性発症するとは限らず、偽嚢胞を形成して徐々に症状の現れることもある(甲第一号証)。自動車事故や自転車による腹部の打撲、圧迫による膵外傷が増加しているとされているが、単純な圧挫による膵外傷死亡例(率)は低い。しかし、仮性膵嚢胞の形成がしばしばみられ、受傷後三か月前後は注意深く観察する必要がある(甲第二号証)。

3  急性膵炎の臨床症状

(1)疼痛、(2)嘔気、嘔吐、(3)腹部膨満、便秘、(4)ショック、(5)発熱、(6)圧痛、(7)イレウス(麻痺性)、(8)腫瘤、(9)黄疸、(10)カレン徴候及びグレイターナー徴候、(11)精神症状(甲第三号証)

4  急性膵炎の臨床診断基準及び重症度判定基準は、厚生省特定疾患難治性膵疾患調査研究班によって一九八七年に実施された重症急性膵炎全国調査の統一基準として作成された。その後、短期間に多くの学会発表、論文等で引用され検討が加えられたが、これらの基準は非常に使いやすくほぼ妥当なものであることが確認され、今日では、わが国の統一した基準として定着し、臨床的に汎用されるに至っている。厚生省では、原因が不明であって治療法が確立していない、いわゆる難病のうち特定疾患について、医療の確立を図るとともに、患者の医療費の負担軽減を図ることを目的として特定疾患治療研究事業を実施しているが、平成三年度より重症急性膵炎が新規対象疾患としてこれに加えられた。これに伴い、重症急性膵炎の診断基準が全国調査の集計結果の検討を踏まえて若干改訂され、別紙2のとおり提示された。そして、研究班では、診断基準の見直しについて全国集計結果の検討並びにアンケート調査等も参考にして議論が重ねられ、その結果、現時点(平成三年一月)における最終案として別紙3のような診断基準に改定がなされた(甲第四号証)。

5  急性膵炎の治療の原則は、積極的保存療法にあり、その根本は、膵炎病態生理の上で重要な、膵管内圧亢進、間質浮腫、全身ショックという膵酵素を主体とした一連の悪循環をできるだけ早く断ち切って、壊死の広汎化やショックの憎悪を防ぐことにある。具体的には、膵炎の臨床上、その主徴をなすものは、疼痛とショックであり、その発生機序から考えると、治療の方針は、(1)膵管内圧亢進、(2)滲出液中の酵素、(3)疼痛、(4)ショック等に対する対策及び(5)抗生剤の投与である(甲第号三証)。

同様に、内科的保存療法が原則である。その要点は、(1)膵の安静と膵外分泌の抑制、(2)輸液と栄養管理、(3)疼痛のコントロール、(4)膵酵素療法、(5)感染対策、(6)合併症に対する対策等である(乙第一〇号証の一、二)。

また、急性膵炎は、発症時軽症例でも経過中に重症化することもあり、迅速な診断と特に四八時間以内は的確な初期治療が必要である。急性膵炎は、急性腹症として発症し、短期間で軽快するものから、致命的な重要臓器不全までその臨床症状が多彩なため、的確な診断と重症度の評価が治療方針の決定に不可欠である(乙第一〇号証の一、二)。

四  戸田医師の過失

原告らは、優己は、遅くとも同月一七日には、膵炎の臨床症状である腹痛、嘔気、嘔吐、腹部膨満、便秘、精神症状等の症状を呈していたのであり、戸田医師は、そのころには、血液、生化学検査を実施することにより、優己が膵炎に罹患していることを知り、または、知り得べきであったのであり、戸田医師には、同月一七日に右検査を実施しなかった過失がある旨主張するので、以下、検討する。

1 急性膵炎の臨床症状は、前記三3のとおり、(1)疼痛、(2)嘔気、嘔吐、(3)腹部膨満、便秘、(4)ショック、(5)発熱、(6)圧痛、(7)イレウス(麻痺性)、(8)腫瘤、(9)黄疸、(10)カレン徴候及びグレイターナー徴候、(11)精神症状等であり、前記二4、5のとおり、優己は、同月一五日午後二時一五分、同日午後二時半、午後三時半に嘔吐があり、表情もボンヤリしており、同月一六日午前一〇時に水様性嘔吐があり、同日午後三時半ころも嘔吐が持続し、同日午後四時には、嘔吐(唾液様)が再三あり、多弁気味で、時折不明瞭な発語があり、不穏、発語も攻撃的な状態であり、また、同月一六日には、腹痛を訴え、便も出ていなかったのであり、同月一七日午前六時、胃液または胆汁様の嘔吐があり、胃ないし腹部の不快を訴え、圧痛もあり、同日午前一一時、腹緊満が認められ、同日午後二時三〇分に浣腸をされたが、一旦腹痛の程度が低下したものの、同日午後七時、腹痛、胃痛を訴え、同日午後九時には、大声で叫び、同月一八日午前七時には、下腹部痛、圧痛を訴え、その後、大声を出して不穏ぎみとなったり、ウトウトしたり、時々大声を出して、つじつまの合わないことを言う等、意識レベルも混迷の状態であったというのであるから、同月一七日までには、急性膵炎の臨床症状の内の疼痛、嘔気、嘔吐、腹部膨満、便秘、圧痛、精神症状等の諸症状を呈していたことが明らかである。

そして、優己の死因は、急性壊死性膵炎による全身性急性循環不全であること(被告も全身性急性循環不全が直接死因であることは認めているものと解される。そして、他に、優己の死因となるべきものが認められないことは、前記一のとおりである。)、同月一九日の優己の症状は、同月一七日までの症状と比較して、特段の変化は認められないことからすると、優己は、遅くとも、同月一七日には、急性膵炎に罹患していたものと推認することができる。

2 そして、優己は、前記のとおり、交通事故による傷害の治療のため、聖マリア病院に入院したのであるから、前記三2のとおり、交通事故でのハンドルによる腹部打撲、転落事故による腹部打撲等でも膵炎を起こすことがあって、この場合すべてが急性発症するとは限らず、偽嚢胞を形成して徐々に症状の現れることもあり、また、自動車事故や自転車による腹部の打撲、圧迫による膵外傷については、仮性膵嚢胞の形成がしばしばみられ、受傷後三か月前後は注意深く観察する必要があるというのであるから、戸田医師としては、優己が急性膵炎に罹患している可能性を認識し、その鑑別診断のために、前記三(一)の諸検査、少なくとも、極めて容易に実施できる血液、生化学検査を直ちに実施すべき義務があったものというべきである(証人伊藤裕司も、交通外傷が急性膵炎発症の何らかの誘因になっていることは否定できない旨供述している。)。さらに、優己の入院後、継続的にステロイドを投与していたのであるから(証人戸田啓介)、前記三2のとおり、これが急性膵炎の原因となった可能性も考えられるのであり、この点からしても、血液、生化学検査を実施すべき義務があったものというべきである。

3 右に述べたところによると、戸田医師は、同月一七日に、血液、生化学検査という極めて基本的な検査を実施することにより、優己が急性膵炎に罹患していることを知り、または、知り得べきであったものと認めるのが相当であるから、戸田医師には、同月一七日に右検査を実施しなかった過失がある旨の原告らの主張は理由がある(なお、戸田医師は、同月一九日午後二時ころ、スペクトによる脳血流の検査を実施しようとしているが(乙第二号証の一五、第五号証、証人戸田啓介)、その時点では、少なくとも同日午前六時に採血された血液、生化学検査の結果は判明していたにもかかわらず、優己の症状の原因が脳の障害にあると考えていたのではないかと窺われるところである。)。

五  戸田医師の過失と優己の死亡との因果関係

急性膵炎の合併症として、敗血症、循環不全、呼吸不全、腎不全、ショック、消化管出血等があり、外科的療法の死亡率は、保存的療法の死亡率よりも高く、急性膵炎が重症化すると、膵及び膵周囲に止まらず、全身性に重要臓器機能不全(MOF)を招来する(甲第一、第三号証、乙第一〇号証の一、二)。

昭和六三年の全国的規模の実態調査によると、重症急性膵炎の死亡率は29.7パーセントであり、中等症の急性膵炎の死亡率が2.2パーセントである(甲第五号証)。救命した場合にも、約一〇パーセントは、慢性膵炎となり、糖尿病になる場合もある(甲第六号証)。

優己の場合、前記三4の重症度判定基準に照らすと、重症の急性膵炎であったと認められるから、同月一七日に、血液、生化学検査が実施されて、急性膵炎の診断が的確になされ、かつ、それに対する治療が適切になされていたとしても、優己の生命に対する予後(救命率)は必ずしも良好なものであるとは断定できないと考えられるが、他方、前記三5のとおり、急性膵炎は、迅速な診断と特に四八時間以内は的確な初期治療が必要であり、また、急性膵炎は、急性腹症として発症し、短期間で軽快するものから、致命的な重要臓器不全までその臨床症状が多彩なため、的確な診断と重症度の評価が治療方針の決定に不可欠であるとされていること、前記のとおり、調査結果の救命率はなお約七〇パーセントに上っていることに照らすと、同月一七日から、急性膵炎の適切な治療がなされていれば、優己の死亡は回避された蓋然性が高かったものと考えられ、戸田医師の過失と優己の死亡との間には相当因果関係があるというべきである(なお、乙第二号証の一五、第五号証の同月一九日の午後二時以降の欄の「Dr来診にて CBC生化学再検分報告 DIV他指示あり」との記載からすると、同日第二回目の血液、生化学検査の結果判明後に初めて、急性膵炎の治療の指示がなされたものとも窺われる。)。

被告は、「戸田医師は、優己のアミラーゼ値の上昇に気付く前から、H2ブロッカー、ニコリンを投与し、輸液量を二〇〇〇ミリリットル以上とし、抗生物質を投与する等し、大部分を絶飲絶食としており、結果的に優己が入院してから、今日の治療方針(乙第一〇号証の一、二)に記載された急性膵炎の治療の大部分を行っていた。同月一九日にも、急性膵炎の治療に使用されるフサン、タガメット、ニコリンを投与し、翌日には、優己の血中アミラーゼ値は低下し、血中カルシウム値に変化はなかったのであり、適切な治療がなされた。」旨主張しているが、同月一九日までの治療内容が急性膵炎の治療として適切なものであったといえないことは明らかであると考えられ(そうでなければ、同月一九日急性膵炎が判明した後に、前記二5のように、治療内容を変更するまでもないことになる。)、また、同月一九日以降の治療内容が適切であったとしても、前記のとおり、戸田医師の過失により、その実施の時期が遅延したことによって、優己が死亡するに至ったものと考えられるから、右主張は採用し難い。

また、被告は、「急性膵炎の場合には、突然死が存在し、その機序としては、急性膵炎を契機に、体内循環血漿量の何らかの理由による必要量の急激な増大に対し、実際の循環血漿量が不足した状態に陥り、急性循環不全を惹き起こす可能性が考えられるが、そのような可能性があったとしても、いつ、いかなる条件でそのような状態が惹き起こされるかの予測は全く不可能であり、その予防処置として、急性膵炎の治療を行う以外には、そのような状態が起こったときに対処するしかない。なぜなら、この変化は、突然に起こるからである。優己の死亡は、右のような機序で惹き起こされた可能性があるが、優己の症状の変化は突然起こったもので、それまでは、通常の急性膵炎として普通の経過をたどっていたものであり、変化が起こってからの救命処置は適切であった。よって、優己の死亡を避けることはできなかった。」旨主張するが、前記のとおり、戸田医師が同月一七日から急性膵炎の適切な治療していたならば、優己の死亡は避けられたものと考えられるから、右主張は採用し難い。

六  原告らの損害

以上に述べたところによると、被告は、戸田医師の使用者として、戸田医師の過失による不法行為によって、原告らが蒙った損害を賠償すべき責任があることは明らかであるから、原告らの損害について検討する。

1  逸失利益

金四三八五万二五一二円

平成二年賃金センサス第一巻第一表による産業計・企業規模計・学歴計の男子労働者全年齢平均の年収額金五〇六万八六〇〇円を基礎とし、死亡当時、優己は、一七歳であったから、その就労可能年数に対応するライプニッツ係数17.3036、生活費控除五〇パーセントとして、優己の逸失利益を計算すると、金四三八五万二五一三円となるが、原告らの請求額である金四三八五万二五一二円とする。

2  慰謝料 金二〇〇〇万円

本件における一切の事情を斟酌すると、優己の慰謝料としては、金一五〇〇万円、原告らの慰謝料としては、各金二五〇万円が相当である。

3  葬祭費用 金一〇〇万円

優己の葬祭費用としては、右金額が相当である。

4  弁護士費用 金六〇〇万円

原告らは、本件訴訟の提起、追行を原告ら代理人に委任し、相当額の報酬の支払いを約したが(弁論の全趣旨)、本件事案の性質、審理経過、認容額等を斟酌すると、被告に請求できる弁護士費用としては、金六〇〇万円が相当である。

5  1の逸失利益、2の優己の慰謝料については、原告らが各二分の一を相続し、3の葬祭費用、4の弁護士費用は、原告らが各二分の一を負担することになるものと認めることができるから、原告らの損害は、各金三五四二万六二五六円となる。

七  以上によると、原告らの請求は、主文第一項掲記の限度で理由があるから認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条を、仮執行宣言につき同法一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。なお、担保を条件とする仮執行免脱宣言は相当でない。

(裁判官野尻純夫)

別紙<省略>

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